2013年01月

2013年01月28日

日中関係が微妙な中の出張
機内放送が流れる
『機長の○○です。間もなく上海浦東空港に着陸します。現地の天気は晴れ、気温は10℃です。』
着陸態勢に入って、外を見るとガスっぽく霞んでいる
着陸して滑走路から向こうは霞んで見えない
公害快晴
「晴れ?」
太陽が出ているのは分かるが・・・
これが大気汚染か!
慌ててマスクをするが
周囲の中国人は誰もマスクなんかしていない
『有害物質はマスクを通すそうです』
総経理の話
??????
NET上で数値が出ているそうで
我が社のある南港は62ppm
なんと!
上海は240ppm
北京に至っては300ppm
誰が載せているのか分からないが
日本人の駐在員はみんな見ている

大気汚染を解決するために、こんなことをやっている
1.自動車の排ガスが問題。だから免許試験を難しくする
  合格率が5% 受講料は5千元(7万)
2.上海ナンバープレートの取得を高額に
  7万5千元(100万円)


根本的な対策になるの?
次号で上海天彦の近況を載せます

tenhiko1875 at 17:21コメント(0)トラックバック(0)耳寄り情報 

2013年01月19日

滋賀県甲賀市育ちの私
出身高校は『県立甲賀高等学校』
ベビーブームの最盛期の団塊の世代
学年数570名 11クラス(内進学クラスは7〜11組の5クラス)
日本中で高校生の大学への進学は40%以下だったように思う

体育祭1体育祭その甲賀高校時代
体育祭では応援団長
アスリート系で主役になれないタイプ
丁度この時は『明治100年』
それをテーマに構成
結構真面目にやってました





無二の親友のS君とは甲賀高校で知り合ったが同じクラスではなかった
彼は生まれつきの小児麻痺で右手が不自由
負けづ嫌いで
水泳しても片腕で結構速い
卓球はかなりのレベル
地頭は良かった

そんな彼の母親が昨年11月に他界された
享年86歳
20年前に肝硬変から肝臓がんになり
正常な肝細胞が10%で生きながらえてきた
歳より10年以上は若く見えていた

S君は出産後直ぐに全身の小児麻痺だったそうだ
お母さんは必死であらゆる医学の限りを尽くして
右腕のみの麻痺までこぎつけたそうだ
しかし、彼に対する懺悔は死ぬ間際まで行っていた
それは、薬害で痴呆になっている中
直前の日記に綴られていた

彼が弱電の中級の量販店を起業したのは30年前
順調に業績を上げた
その傍には必ず母親がNO2として存在していた
一切、彼に文句を言うことなく
成功への後押しに徹してた

満中陰を終えた正月
初めて仏壇の前で線香を上げさせてもらった
というのも葬儀の日はタイへ出張中だったので参列できず
その後、電話で話したが彼の鳴き声に躊躇していた
学生時代から人前で涙をみせることなど一度も無かったからだ
線香の煙の向こうに過去が映る
親友のお母さんには本当に世話になった
何度も家に泊めてもらった

久しぶりに料理屋で酒を酌み交わした
「お袋とはホンマに二人三脚で生きてきたなー」
と私が口火を切ると
『ようやってくれたーホンマに・・・
声を出しで泣きじゃくる彼
観たことが無い泣き顔
・・・・・・・・
その後は何を言っても涙
笑い話にも涙で

ずっと独身を通して来た彼
小児麻痺の自分
母親には絶対に責任を追及しなかった
親友の私にも一切言わなかった

だから母親は息を絶つ直前にも
読めない蛇のような日記を綴ったのだと思う

毎日、朝晩、ろうそくと線香を切らさない彼
母親と生涯生き続けるのだろう

tenhiko1875 at 15:38コメント(0)トラックバック(0)ひばりの独り言 

2013年01月10日

遷宮のある今年のお伊勢さん
大混雑を覚悟でお参りしてきました
5日に外宮へ
伊勢道は規制があり、離れた所へ駐車しシャトルバスで
11時に
正宮で特別参拝をさせて頂き
お神楽で御祈願を
15時終了

鳥羽にて宿泊

6日の日の出は7時01分
ホテルを6時20分に出て、宇治橋へは7時前に
沢山の人がご来光を待っている
100人はいたように思います
日の出とは海から出る時間らしい
待つこと40分
遂に出てきました
写真を順に並べます

クリックしてみて下さい。緑の光の玉がどこかに見えてきます
なんと!神様が降りてきてくれたそうです(有力な説です)

ご来光1ご来光2ご来光3








ご来光4ご来光5ご来光5














そして私の体にも
ご来光6
良い年でありますように
皆様、今年もよろしくお願いします

tenhiko1875 at 18:48コメント(0)トラックバック(0)ひばりの独り言 
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