2008年11月

2008年11月29日

中越大地震はまだ記憶に新しいが、その中心、山古志村の近くに蓬平温泉がある。
そこに「和泉屋」さんという温泉旅館がある。
http://www.yomogi-izumiya.com/modules/jishin4/content/index.php?id=1
新潟県三条市にある関係会社「野水鋼鐵店」の主催で、一寸早めの忘年会があった。
前の週に初雪があったらしく、道のあちこちに残雪が見えて、雪国を体験できた。
上記のアドレスを開いてもらうと、震災の凄さが分るが、丁度リニューアルしている最中の出来事だったそうです。よく復興されたと・・・
和泉屋
もともと厳しい土地に建てられているが、復元された
 玄関を入り、チェックイン
ロビーでウキウキしてしまい、財布の入ったバックを椅子に置いたまま部屋に案内され、全く気付かない・・・
暫くして、フロントの男性が
「こちらの部屋で宜しかったでしょうか?」とバックを持ってきてくれた
感激と共に、大きな癒しを得ました
「お客様、こちらお忘れではないでしょうか?」なら、こんな感激はしなかったと思う。忘れたことに、たしなめの気持ちが優先した筈だから
過去に経験のない対応だったし、私の中ではサミットの開かれたWホテルに勝るとも劣らないと思う。
会食の場、お風呂のお茶の接客、売店の接客
どれをとっても、真心の癒し
温泉が震災後、湯質が良くなったと仰っていたが、素晴らしい
やや低めの温度で、つるつるのお湯は最高だった
あれほど悲惨な体験をして、復興されたエネルギーが
本物の真心と癒しのおもてなしになるのかと、改めて感心させられた。
もう一度、是非行きたい、いや必ず行って、家族にも体験させてやりたい。

「和泉屋」さんから少し登った所に「高龍神社」がある
何でも商売の神様と聞く。


高龍神社本殿名刺エレベーター












急勾配の階段は118段で、お年寄りには無理では・・・と思っていると
奥のほうに黄色い扉が・・・なんとエレベーターが見えた
神社にエレベーターは聞いたことがないが、これも震災後に着けたそうだ
大震災は「人として・・・どうか?」を教えるのだろうか
上りは階段で上がって、本殿に
提灯や飾り物が一杯あったが、それのあちこちに名刺が貼り付けてあった
お賽銭を入れて、商売繁盛を祈願
後方から、オジサンがきて「この神社は蛇をお守りしている龍神さまです。震災で神木に亀裂が入り、その蛇が出てきました。」とご神木を見ると、なんと蛇が撒きついたように見える。さらに話しが続き「こちらのポスターはプロにお願いしたんです。出来上がった写真を見て、プロが驚きました。本殿横にウロコ模様が映っていると」
ポスター
よーく見ると確かにウロコ模様がある。
心霊写真でなく、神霊写真ではないか



tenhiko1875 at 14:31コメント(1)トラックバック(0)天晴社員へひばりの独り言 

2008年11月17日

新聞屋さんのおまけで、奥方に誘われて、過去何度か新歌舞伎座に足を運んだが、来年4月の公演を最後に、上本町へ移転することになった。難波のシンボルがまた一つ消える。
道頓堀の“くいだおれ”が無くなったり、宗右衛門町が風俗の通りになったり、どうも大阪という町がおかしい。
まあボヤキはここまでとして
新歌舞伎座正面場内
過去、観劇した時の座長さんは
五木ひろし、中條きよし、石川さゆり、天童よしみ、杉良太郎、最もハマッタ梅沢登美男等、結構行きました。
夫婦のコミニケーションを良くする手段としては最適だったような気がする。






そして、今回は松井誠の舞台。
ドサ廻りから、新歌舞伎座まで上り詰めたのは、梅沢と同じだし、女形を売りにしているのも同じ。しかし、松井誠のそれはモノが違う!
博多人形そのものだ。
松井誠


話しは変わるが、お客さんの層が総じて高齢者で、農協さんの団体みたいのが多い。それはそれで良い・・・楽しみにしているのだから・・・
ただ・・・
いよいよクライマックスという所で、お菓子の袋をバリバリ
隣のオバちゃんと世間話
ヒット曲を一緒に歌う(ズレズレで・・・)
芝居に入って『なんで、あんな嘘つくんや!誠ちゃん嘘やデー!』と叫ぶ
その間が、全て外れてしまう
観劇に風物詩と言えばそうだけれど

芝居は人情話が多いが、高齢者用に演目を設定しているのだろうか?
そうとも思えない
日本の文化を伝承しているのではないだろうか?
20年前から観劇しているが、面白い
何とか若者に見て欲しい
きっと、人生観が変わるし、志を新たにしてくれる
どうか、新しく生まれ変わる新歌舞伎座は
そんなコンセプトも持ち合わせて欲しい


tenhiko1875 at 17:36コメント(0)トラックバック(0)天晴社員へひばりの独り言 

2008年11月11日

政情が安定しないタイですが、行ってきました。
現地法人『TIT』のスタッフに元気を与えることが目的です。
結果は逆に、元気をもらってきました。

進出企業の殆んどは、主力ユーザーの進出に合わせて現地化しているのですが、我が社は全く白紙の状態で3年前から出ています。
しがらみがない分自由に動けると、楽観視していました。
ところが、現実はそんな甘くなく
派遣した小林君の苦労が始まりました。
日系企業は流通が決まっており、ローカルへ接近
ところが、タイ語が出来ないと親密になれない
彼は自費で家庭教師を入れ、毎日のように勉強をしてくれた
3年目にして60%強話せるようになっている
商社のA氏に聞くと、考えられないスピードとのこと
頭が下がる

そして、見つけたローカルユーザー『DDC』と大きな取引関係にある
今回の主要目的は当社との今後の戦略を構築することだった
社長は38歳のKomdej 4人兄弟の3番目
小林MDとは深い信頼関係で結ばれている
実はお父さんが、4人の兄弟に夫々会社を作って継承しているのです

コムデの両親と
この日偶然、ご両親(中国人二世)が彼の会社に来ていた
大金持ちらしいが、見た限り普通のオジサン
「タイ語は?中国語は?」と話しかけられたが
「世界共通語!」とボディーランゲッジ
一気に親近感を持ってくれたようで
小林MDの通訳で話が弾んだ

Komdej社長は無理難題を(損して得取る)考え方で解決してくれた
『天彦とは長い付き合いを希望する。現状のロスはお互い様、気にしなくて良い』
ジーンと来た
今回の出張目的を果たすことが出来た

昼食では弟のPeerapat と合流し、昼食・タイフーズ
兄弟と昼食
二人とも海外留学していたので、英語力抜群!
小林MDには全幅の信頼を寄せてくれているのが
端々に聞こえる単語から知りえる

苦労して開拓してくれたローカル企業
今では数社に上る
日系企業も彼の提案セールスを認めてくれて
次第に大きな取引関係となっている
100年に一度の世界恐慌と言われる今
光明を見つけて、帰国できたことに感謝したい

tenhiko1875 at 14:58コメント(0)トラックバック(0)天晴社員へお取引先のお話 
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